2013年10月21日

島原の乱について

天草と言えば、天草四郎でしょう。島原領主松倉勝家と天草領主寺沢堅高によるキリシタン弾圧や苛酷な圧政が原因で天草島原の乱がおきますが、この一揆軍の総帥に推されて指揮を執ったのが若年15歳の天草四郎時貞です。
一揆軍は原城に立て籠もり、幕軍12万4千人に対し篭城すること90余日、兵糧尽き1638年(寛永15年)2月28日、老若幼男女3万7千人と共に原城の露と消えました。
この原城は島原半島の南部に位置し、有明海に張り出した丘陵にあり三方が海に面する天然の要害でした。島原の乱当時は廃城でしたが、ここに、原藩の圧政に蜂起したキリシタン農民三万数千人が籠城。4ヵ月にわたり幕府の大軍に抗戦したのです。乱の鎮圧後、幕府は原城跡に残存する石塁などの破却を行いました。
1938年(昭和13年)原城跡は国の史跡に指定された。発掘調査の際には、惨殺された一揆軍の遺骨や鉛の弾丸、クルスの他、万人坑が出土しております。
今は、一部の石垣のほかは何もなく、野草の茂ったただの丘になっておりますが、ここに、何万人もの人骨が埋め尽くされていたことを思えば、その戦の苛烈さがしのばれ、つい首を垂れ冥福を祈りたくなります。
島原の乱をもっと詳しく知りたい方は、対岸の天草四郎公園を訪れると良いでしょう。そこには、天草四郎の銅像や天草四郎メモリアルホールがあり、当時を偲ばせてくれます。


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Posted by privresy at 14:45Comments(0)歴史